THE SHE

DIARY

2020 / Jun

6月29日(月)

 今日は午前中からいくつかの打ち合わせやらアポイントやらをやっつけて、久しぶりに、大好きな先輩編集者の垂井さんとランチへ。私はkemioくんの大ファンなのだが、垂井さんもそうだということが発覚。彼の著書「ウチら棺桶まで永遠のランウェイ」は、冒頭に「ウチら」と入っていることがなによりすごいという話で盛り上がる。彼の言葉はどれも人の痛みを分かろうとする優しさが根底にある。そしてこれはkemioくん世代の特徴なのだと思うのだが、半径5m圏内にいる身近な人たち(つまりウチら)と、ずっと先の社会全体、ひいては地球を同時に大切にしている感覚がある。多様性が進む中、誰一人として傷つけない言葉は難しいのだけれど、誰一人として傷つけたくないと心に置いて言葉を放つことが大切なのだなと思う。今は、分かってくれる人だけ分かってくれればいいという時代ではない。まずは自分たちが幸せであることが重要ということは理解はできるのだが、そうじゃない時は周りにも優しくできないというのはやっぱり嫌だし、自分たちが傷つかないためには周りに迷惑をかけてもいいというのも嫌だな。自分に正直でありさえすれば、誰かを傷つけることも仕方ないという考え方も好きではない。
 そういえば日曜日に、石橋静河ちゃんが出ている『未練の幽霊と怪物』のオンライン上演を観る。机の上に置かれた舞台が面白い。そしてセリフとはまた別次元で強い思いを伝えるダンスに魅了される。吉本ばななの『体は全部知っている』という本のタイトルを思い出したりしながら観た。

6月28日(日)

 朝からTHE SHEの新商品のための撮影。カット数は多かったが、スムーズに進む。東北沢にあるスタジオで撮ったのだが、目の前に「千里眼」という人気のラーメン屋がある。今日も1日中、わらわらとたくさんの人が並んでいた。ラーメン好きのアシスタントえりちゃんと、カメラマンのイッチーが口を揃えてあそこは「マシマシ系ですよ」という。「二郎系ですよ」とも。つまりはトッピングをどんどん追加していくということ。「ラーメン二郎」の「インスパイア系」か? 違うのかも。 ラーメン好きの間ではおなじみのフレーズがいろいろとあるらしく、調べてみたら面白い。行列に並び、店内へ入って注文し、実際に口をつける瞬間を「着丼」というらしい。へー。例:今日は意外と人が少なかったので、着丼まで10分かからなかった。ほー。スープが切れそうになったときに継ぎ足すことは「追い炊き」。わはは。ああ、楽しい。
 スタジオに集合してみたら、プロデューサーのサチとTシャツがお揃いだった。かれこれ早15年くらいの付き合いになるが、好きなもののテイストが酷似しているため、よくある現象。それ持ってる! とか色違いさっき買った! とか、携帯ケースとキーホルダーのキャラクターがカブるとか。出張先で洗面所をシェアしてみたら、日焼け止めとシャンプーがまったく一緒とか。お土産に渡したヘアオイルを、数日前に彼女もお土産として友達にあげていたとか。いや、とにかくこんなエピソードは山のようにあるくらい、驚くほどカブる。THE SHEを一緒に始めてから気づいたのだが、当然、一緒に歩いているときに、街で目にする人の「お、あの人の格好、かわいいな」もほぼ同じ。サチがすごいのは、「ねえ、さっちゃん、あの人のさあ…」と私が話しかけたときには、もう横にいない。その人のところの側に行って「あの、それどこで買いました?」と聞いている。出張先のパリでも、何度もスススーと近寄り、にこやかに質問していた。「インドだよ」と言われてしょんぼりして帰ってくるとか。そして何日か後には調べ上げて買い付け先を見つけているとか。かわいいものへの飽くなき探究心。バイヤーってすごい。私も彼女もずっとずっとその時代に合う「かわいい」を探し続けてきた。私はどちらかというと編集者として「かわいい」の概念や哲学、その裏側にあるものや歴史、手にした時の人の感情、そしてそれをビジュアル化した先に見えるもの、言葉にして伝える方法などをつらつらと頭と心で考え続けてきたタイプだが、サチはバイヤーとして、「かわいい」をそれはもう直球ストレートに探してきて、ポンと目の前に置く。その説得力たるや。これまで感性は酷似しているがアプローチが全然違った2人が一緒にやるから、THE SHEはおもしろいんじゃないかと思う。手前味噌ではあるが。サチは私の自慢の親友であり、THE SHEの要なのである。

6月27日(土)

 10時過ぎくらいまでぐーぐーと寝て、いい気持ち。昼間は、塾の宿題に付き合う。今はとにかく「やりたいことの前にやるべきことをやる」を習慣化させたいなあと思いながら、思いっきり、自分に跳ね返ってくる。自分はどうなんだ? 子育ては本当にブーメランな局面が多々、ある。私はけっこう気が長い。だけれど6月は、珍しくも、なんだかキーっとなったり、イライラしたり。娘とぶつかって泣いたり、なんだか大変だったな。特に後半。梅雨も低気圧も星の逆行も日食も苦手である。今日、久々にマッサージに行ったら、恐ろしく頭がむくんでましたよと言われた。なにごと!!!  帰りにエストニアの陶芸の鳥笛を見つけて、そのまま連れて帰る。尻尾部分が吹き口になっている。夜、道を歩きながら吹いてみたら、実にのんきにプップーと鳴いた。のんきは大事。

6月26日(金)

 今週もよく働きました。今日の撮影は、主役となる被写体の方も撮影スタッフもクライアントさんもみんながハッピーそうで、幸せな仕事だった。ありがとうございます、よき金曜日。最後のアポである、7月上旬撮影のコーディネート下見へ行った後、娘の習い事のお迎えに遅れて、駅から猛ダッシュ。着く頃には顔面がびしょびしょになっていた。明らかにバレエ教室の先生の顔がぎょ!ってなってたもんな。ハンカチを家に忘れ、マスクで拭く。いい加減にしろ、私! 夕方過ぎから蒸し蒸しと湿度が高く、不快といえば不快だが、なんだか夏が近づいてきたんだなあと季節の変わり目に少しワクワクする。夏の夜は特に好きだ。夏の夜のぬるま湯のような空気と匂いが好きだ。特に湿った土の匂いが。田舎育ちの証かな、すごく落ち着く。ああいう香りの香水があればいいのにな。この季節になると毎年感じているが、枕草子と同じで、私も夏は夜だし、冬は朝が好きだ。平安時代からこんなにも時が流れているのに、人が同じことを好きでいられるのは尊いな。仕事ではいつだって、ほんの少しでもいいから常に新しいことをしたいと思っている。価値観も固定概念に縛られずに変えていきたいと思っている。そうやって暮らしていると、なんていうか、普遍なものやことに対しての尊さが増していくという矛盾。
 そういえば交通機関、特に電車を使っての移動をまだなるべく控えていて、久しぶりに乗ったら、割ともう普通に人がいる。感染者は増加傾向にあるのだし、気を緩めずにいかねば。

6月25日(木)

 今週1番比重の重かった原稿を終えた。脱稿、最高! つまりは軽めのものは残っているということだけれど、でも、はー、すっきり。明日の撮影とインタビューの下調べなどをしながらも、今宵は、少しのんびりと過ごす。言葉や文章を書くのも読むのも、そして歌うのも好きだけれど、好きだからこそ、言語化できない気持ちや目に見えないもののために生きているんだなと思うときがある。矛盾しているけれど。矛盾といえば、6月23日売りのSPURで、よく一緒に仕事をするスタイリストさんたち5人にインタビューをする企画を担当した。大好きな先輩の飯田珠緒さんが、「かおりちゃん、今、私は矛盾と戦っているんだよね。」という話をしてくれた(詳しくは誌面にて)。分かる、分かると共感する話がたくさん聞けたのだけど、中でも、「前に進まなくてはいけないことは分かっていながらも、思い出のために生きている部分もある」と言っていて、なんて美しいというか、素敵なことなんだろうと思った。今でも時々、ふと思い出すし、もしかしたら何十年経っても私を支えてくれるようなフレーズになるなあと思った。なんというか、解決できなかったこと、後悔したこと、それから自分の中の業というものに触れて苦しかったこと、傷つけたり傷ついたりしたことを無理やり忘れなくてもよくて、決して後ろ向きではなく、ちゃんと抱えて生きていったっていいんだよなと思わせてくれた。大好きな先輩から聞けたこともきっと大きかったのだろう。時々LINEでは話しているけど、随分と会っていない。会いたいな、タマさん。

6月24日(水)

 ぎゃっ、もう水曜日。早い。恐ろしい。これ、本当に毎週言ってる。今日は在宅でひたすらに入稿。娘が4時間授業で戻ってきた後、ご近所に住む娘の友達も連れて、バスで事務所へ。バスの前の席できゃっきゃと話している女の子たちの小さな頭を見ていると、かわいくて、かわいくて、なんだが涙が出そうになった。この子たちにどんな将来を手渡せるのだろうか。頑張らなくては。意思を背中で見せて、心で寄り添い、いつ何時とも味方だと口に出して伝える。娘たちが本当の自由というものを理解して、体感して、自分でやりたいことを選べる環境を作りたい。君たちは、未来だから。目元と心をじんわりと熱くさせながら、そんなことを考えた。娘の友達が言う。「私さ、すぐ人を好きになっちゃうんだよね。小学校に入ってからもう10人いる。新しいクラスでも、隣の席に座って名字が同じ子を好きになった。なんか可愛いんだよねー」。おおお、新鮮! うちの娘はそういうことまったく言わないから。「その前に好きだった子は、私が好きんだってことが学年中にばれちゃってやめた」。ほーほー、なるほど。「春(娘)って好きな子いないよね。黙ってるだけかも。でも自分と同じようなタイプを好きになりそうだよねー。」ほー、そうですか、そうですか。あの手のタイプ、2人ってなかなかに大変そうじゃない? わはは。などと、娘の友だちと恋バナ?に花を咲かせる。その流れで本棚から『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を取り出し、帰りのバスから着手。そして、入稿が終わらない。うー。

6月23日(火)

 沖縄慰霊の日。合掌。そして、愛する妹の誕生日。おめでとう。午後から、久しぶりにジュエリーブランドのリース下見へ。外資系ブランドは、まだまだリモートワークが続き、出社日が限られているとのこと。出版社も同じで、外資は引き続き在宅、時々集まって会議というスタイルがまだ続きそうだ。一方で、友達の話によれば基本的にリモートはもう禁止、国内出張にもバンバン出かけているという企業(外資じゃない)もあり、かなり個人差を感じる。すっかりと元通りなシーンに出くわすと、「人は悲しいくらい忘れていく生き物」とミスチルも歌ってる、と思う。思うだけじゃなく、時々、人にも言って失笑される。下見の後、ハーパーズ バザー編集部のまきこさんとスタイリストのレナさんと打ち合わせがてら、お茶。いやはや、直接会って、同じ空間で同じものを見たり、同じ香りを感じたりしながら人と触れ合うのはやっぱり、いいね。会話の間合いとか、つけている指輪を触る手とか、仕草、会話以外の音のようなものとか。これまで当たり前にあったものを失って、またこうして触れることができたものたちは、一段と尊く感じる。コロナ禍の影響で、移動が少なくなって便利になった側面もあり、仮想空間はどんどん進んでいくのかもしれないが、その中でやはりアナログも大切にしていきたい。帰り道、千代田線のホームで「かおりさんっっ!」と呼ぶ声がする。声の主は今はフリーでPRの仕事をしているあきちゃん。彼女は、様々なアーティストの絵柄や写真を使ったマスクを販売するThe Maskというプロジェクトを立ち上げた。私もそこで、大好きな鈴木親さんの写真のマスクを買ったのだが、偶然にも今日はお揃い。なんだか嬉しかった。一緒に電車に乗り、少しの時間で近況を報告し合う。明日はまた1日、引きこもって原稿だ!

6月22日(月)

 今日は朝から撮影。今週は3本撮影が入っていて、仕事のペースは、徐々にコロナ禍前の生活に戻りつつある。今日は気の置けないスタッフ&物撮りなので、穏やかに順調に進む。今日は、フォトグラファー以外、皆、女性。昼ごはん休憩中に『愛していると言ってくれ』のトヨエツがめちゃくちゃかっこよかったという話になる。世の中でこの再放送が話題になる前、この日記にはすでに書いたのだが、私は自粛生活中の夜な夜なの作業中にすでに、アマゾンプライムにて全エピソードを見終わっている。スタイリストアシスタントの薫ちゃんと、新幹線でお母さんを見送るシーンがいかに号泣できるかという話で盛り上がる。世代を超えて、皆で共感できて、わいわい話せるって尊い。だから、ベストセラーも読むし、はやりのドラマもなるべく観るし、J-POPは歌う。
 最近は娘と一緒に『グーニーズ』、『インディー・ジョーンズ』3部作、『バック・トゥ・ザ・フィーチャー』など私も子供の頃に楽しんだ映画と一緒に観ている。時折、誰かと「最初に映画館で観た映画ってなに?」という話になることがある。私は父に連れられて小学1年生のときに観た『ランボー怒りの脱出2』だ。まさかの2。正確に言うなれば、『ルパン三世 カリオストロの城』との2本立て。父はルパンを観せたかったと言い訳をしているが、名台詞「いや、奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です。」そのままに、私の心は完全にルパンではなく、ランボーにもっていかれた。おーい、小1に観せる映画じゃないぞ、父! でもその後も、映画好きでオーディオルームまで作ってしまった父とは一緒にたくさん映画を観た。「ここのこの、低音の響きがいい!音、いいだろ?」とかなんとか言いながら、飛行機が飛ぶシーンを、娘に何度も観せる父が愛おしく、「すごーい!」とよく付き合ったものだ。父はハッピーエンドしか嫌だ、最後まで観て損した気がするというわけで、メジャーどころの痛快な映画ばかり。完全なる反動+都会にかぶれて、一人暮らしを始めた大学生の頃は単館モノとか、カルチャー色の強いものに傾倒した時期もあったけ。夏休みに帰省できたら、また一緒に父と映画を観よう。

6月21日(日)

 昨晩、土曜の夜ということで気が大きくなり、Netflixでマイケル・ジョーダンのドキュメンタリー『LAST DANCE』を一話観た後、家族が寝静まってから、さらに『GET DOWN』を久しぶりに見返してしまい、気がついたら4時。えー。Netflixの競合は地上波でもなければ、Amazon Primeでもなく睡眠なんだとか。上手いこと言う。正解。というか、寝ろ! 午前中は掃除したり、娘の勉強に付き合ったりしながら、昼ごはんを食べた直後に昼寝。やーん、食べてすぐに寝たらいかん。14時からまた、近所の酒井家と公園でバレーボール。楽しい。実は明日から酒井家の一員にして、私の大切な友達、さゆりを誘い、ついに断食をスタートさせることにした。まずは、1日3食、寝かし玄米と味噌汁にするのを3日間。一人だとサボりそうなので、近所のさゆりを巻き込んだのである。今日は最後の晩餐とばかりに行きつけの蕎麦屋で外食。満足です。思い残すことなく、粗食に入らせていただきます。今日は父の日、大好きなお父さん、いつもありがとう!

6月20日(土)

 今日は「一粒万倍日」と「天赦日」が重なるスーパーウルトララッキーデーだったそうで、ツイッターのトレンドにまでなっていた。そんな日とは知らず、すごく信頼しているふみちゃんの占いの予約を取っていた私、なんだか強運なんじゃないか! 占いって心のマッサージだと思っている。今日も、納得して現状を把握して背中を後押ししてもらって帰ってきた。空いた時間で、サンタ・マリア・ノヴェッラのポプリと紙のお香も買えてニコニコ。今宵もバスソルトをどばどば入れて、お風呂でデットクスといこう。

6月19日(金)

 金曜日だ、やっほー! 今日はZoom打ち合わせと対面打ち合わせが混在。まだ慣れず、スケジュールが組みづらい。対面打ち合わせが終わった直後に、受付横に設置された簡易的な椅子に座って、こそこそとZoomを立ち上げる。いや、それはGoogle Meetだった。ツールも様々だ。打ち合わせを3本終え、16時にやっと昼ご飯。渋谷駅の銀座線を降りたところにある、しぶそばでちくわ天そばを食べる。えー、デジャブ? 昨日と同じ。とほほ。せめてカフェにしろと言いたいところだが、そば屋のほうが好きかも、喫茶店のほうが落ち着くし。コロナ禍以降、初めて立ち寄ったが、カウンターが一人一人仕切られた状態に変わっていたため、そばをすすりながら、一蘭のラーメンを思い出す始末。大学生で上京した頃から、温かい麺類を食べると涙が出そうになることがある。発端は「焼きそばUFO」。幼少の頃に夏になると訪れた徳島の海の家の思い出と、焼きそばUFOの味が直結している。海で遊んだ後にパクパクと食べ、お腹いっぱいで寝転んだときの心地よい気だるさや、隣で食べている妹のかわいいぽんぽこのお腹や、家族のそばで安心しきって入眠しそうな感覚、さらには亡き祖父母との小旅行などを思い出し、懐かしくて泣いてしまう。今は泣きそうになるとぐっとこらえるコツを掴んでいるのだが、妊娠中はいろんなホルモンが崩壊していたのだろう。すすってものの10秒で号泣していたな。焼きそばはもちろん、ラーメン、うどん、そば、にゅう麺、そしてパッタイまでダメだった。温かい麺類というだけで全滅だったということを思い出し、ちょっぴり泣きそうになった。

6月18日(木)

 低気圧。本当に嫌い。今日の低気圧はけっこう、しんどい。なんか気になって星回りを調べたら、水星が逆行してるとのこと。それでいろんなことが停滞する時期らしい。あらあら。思い当たることがある。こんな日は、バスソルトたっぷり入れたお風呂に入ってさっさと寝るにかぎるね。今日の小さな幸せは、15時までランチを食べ損ねた代わりに、娘が家に戻る前に駅前のそば屋(富士そば系)でちくわ天そばを食べながら読書できたこと。アシスタントのえりちゃんがめきめきとたくましくなってきたこと。今日もバスに乗れたこと。

6月17日(水)

 一ヶ月くらい、コンタクトをつけるとゴロゴロしたり、まぶたが腫れたりしていた。ものもらいだろうと思って、自粛中は病院も遠ざけていたのだが、そろそろ行かねばと眼科へ足を運ぶ。健康すぎて?2年くらい病院へ行っておらず、そういえば…と思ったら案の定、保険証のありかが分からない。えっと、パリへ出張へ行った時に財布を入れ替えて…ダメだ、思い当たらない。まさかの自腹。次は金曜日と言われているが、まだ見つかっていない。はあ…(ため息)。コンタクト禁止令が出ており、連日、家でしかかけない眼鏡をかけている。視力がかなり悪く、相当の瓶底。たまにふざけて友達に「今、瓶底メガネ、すっぴん、パジャマで入稿中でーす」などと送ると「誰?」と言われるほどに目が小さくなる。どんなにテクノロジーが進化しても、レンズはシュッと薄くはならぬのですか? 瓶底メガネにマスクなどしようものなら、街中で知り合いとすれ違ってもほぼバレない。点眼に飲み薬にと抗生物質生活。

6月16日(火)

 今朝もバスの中でWEB版朝日新聞を読んでいたら、いきなり「史上最高バーカ」という文字が飛び込んでくる。驚き、読み返すと「ポスト・アマゾン、国内回帰が生んだ「史上最高パーカ」であった。パーカか、なんだ。バーカに見えるって私の心が淀んでいるのだろうか。本屋ををぶらぶらと歩き、偶然に目に飛び込んでくる帯文ってそのときの自分の気持ちを表しているような気がする。「帯文占い」である。違うかも。最近、特に心に沁みたのは、堀越英美著『スゴ母列伝』に寄せられた、武田砂鉄さんの帯文。「人間にとって最も大切なのは、「私はこう思う」を邪魔されないこと。そして、邪魔しないこと。」いやもう、本当にその通りすぎて、もう! 正論でねじ伏せるのとか、本当に嫌。散々、誘導しておいて「自分の意思でしょ」的なのも嫌。それから、どう思う?と聞いてはくるけど、それ、人格否定でしょというくらいに滅多斬りしてくるのも、嫌。好きな人が望む自分に無理やりなろうとして手に入れる幸せって、続かないと思う。理想論だけれど、好きな人が自分らしさを好きになってくれることが大切だと思う。
 そして「パーカ」だ。ファッションの原稿をずっと書き続けてきたけれど、いつの間にか「パーカ」は「フーディ」に取って代わられた。「スパッツ」は「レギンス」になり、「えんじ色」は「バーガンディ」になった。10年くらい前にコレクションスナップの原稿を書きながら、「レギンスってー。えらいおしゃれな言い方だな。スパッツでしょ、要は」などと思っていたのに、もう当たり前のように日常でレギンスって言ってる。まあ、スパッツは和製英語ですから、正しくはレギンスで正解なのだが。
 

6月15日(月)

 15日の日記をまたもや、こんな時間に書いている。昨日は寝落ちしてしまった。母から「日記が更新されていないけど、忙しくて体調を崩しているんじゃ…」とのLINEが入る。お母さん、私は元気です。今日(15日)は娘を学校へ送り出した足でバスに乗り、事務所へ。このバスに揺られる45分は、私の幸福な時間である。地味だが本当のことなので仕方がない。コロナ禍を経て、車内の窓は開けっ放し。暑いからガンガンに冷房がかかっている。走り出すと、ぬるま風と強い冷房のミルフィーユ状態だ。これが世間の言う「ニューノーマル」か。「新しい日常」という和訳がいいな。「新しい普通」はダメ、「普通という概念」撲滅運動中なので受け入れがたい。というかもう、「東京アラート」しかり、横文字じゃなくてよくない? バスに乗り、まず、i-Padを取り出して、WEB版の朝日新聞を読む。「指が逃れぬ仮想幸福 「どうぶつの森」で気づく劇的変化」という記事を見つけた。ああ、なんてよい見出し。指が逃れぬのかー、なるほどなぁ。ゲームは、小学生の頃のスーパーマリオ以来、まったくハマったことがなくて携帯でもあまりやらないので、この感覚は体感したことがない。ちょっと羨ましくなっちゃった。そのあと、読みかけの本を読んだり、NETFLIXを観たり、うとうとしているうちに事務所最寄りのバス停に着く。ああ、今日はもう少し渋滞してくれたっていいのよ。
 しかし、あっという間に日差しが強くなった。地黒で肌が強く、赤くならずにあっという間に日焼けする。例年、GW後のロケ撮影で早くもかなり黒くなり、「週末、海に行ったの?」と言われ、「いや、ロケやってただけ!仕事だよ」と答えるのが恒例行事。ちゃんと日焼け止めを塗ろうと思うも、大体、7月あたりで諦めかけている。今年は自粛生活のため、まだ保っているとは思う。多分だけど。KkCoのハットも手に入れたし。1977年生まれで安室奈美恵と同い年で、『sweet 19 blues』を19歳で歌っていたことが自慢。ギャル文化とは程遠いところにいたが、時代を並走してきた身としては、日サロブームなど、肌を焼くことが持てはやされる風潮があって、なんかちょっと救われたかも。勝手に日焼けしちゃうだけだけど。今も日焼けサロンってまだあるのかな? 今年こそ、美白に精を出してみたいところ。←弱気。 

6月14日(日)

 低気圧しんどいぞ。ソファでぐうぐう昼寝をしたぞ。今日は以上です。

6月12日(土)

 今日は目覚まし時計をセットせずに、たっぷりと寝る。昼はほぼ3ヶ月ぶりに、保育園の頃からずっと仲良しのママ友とランチ。我々母親も、お互いの娘も名前がそれぞれに同じという奇跡。つまり、かおりのママ友であるかおりさんは身長170cmでスタイル抜群で、とびきりの美人。それでいて、男勝りの竹を割ったような性格でたくましく、とても気が合う。大好きな女性だ。小学校は離れてしまったが、娘が通っているバレエ教室はずっと同じ。時間が合うときは土曜日に娘たちがレッスンを受けている間に、近くの喫茶店でお茶をするのが恒例。今週はあんなことがあった、こんなことがあった、娘がどうで、家族がこうで、仕事があれや、PTAがこれや、やれあのスニーカーが可愛い、やれ今の髪型似合ってるなどと、ものすごくいろんなことをしゃべって、共感して、笑って、泣いて、励まし合う。ああ、もうレッスンが終わってしまうけど、もうちょっと話したいねというときは、娘たちも連れて近くのファミレスへ場所を移し、さらに話す。それはなんというか、「我々、今週も頑張りました、お疲れ様でしたー!」と思えるご褒美のような時間だ。かおりさん、今日は久しぶりに楽しかったね。また来週もお茶できるといいな。娘たちはどんな女性になっていくんだろう。2人でなんやかんや言いながら、成長を見守っていこうね。そして、ずっと、ずっと友達でいよう。

6月11日(金)

 今日は一日中、入稿に次ぐ入稿でデスクに座り続けた。お尻が痛いよ。合間に、久々に体重計に乗ったら、とんでもない数字を叩き出した。随分前に買ったものだから、きっと壊れているんだ。うん、そうだそうだ。そう思ってアマゾンで新しい体重計とついでに縄跳びをポチる。今、パーソナルトレーナーのきえちゃんと一緒に筋トレに励んでおり、「かおりさんは筋肉がつきやすいから、とりあえず体重は無視してください。筋肉は重いので。体重計に乗らなくていいです、まずは。」と言われたのに乗った。それにしたって…な数字だったから壊れているに違いない。うんうん。さらに鏡を見たら、なーんか口角が下がっている気がするのだ。これまたエステシャンのまきこちゃんが「マスクで口周りをずっと隠すからでしょうかね。緊張感がなくなるのか、口元がたるんでしまうケースが増えてるんですよ」と言っていたのを思い出す。えー、ちょっと!  顔も筋トレしないと。アエイウエオアオ、アメンボアカイナ、アイウエオー! 
 THE SHE magazineの新しい記事の入稿を終え、娘と近くのファミレスへ。帰り際に雨が降る。「わわ、ちょっと雨宿りしよう!」と声をかけるも、隣で雨よ止め的な呪文をブツブツと唱えている。唱えながら、勇敢に雨の中へ一歩踏み出した。「私がお願いしているのだから、すぐに止むわよ」っぽい堂々たる態度で進むので、母親として彼女の夢を壊すわけにはいかず、ひーひー言いながら隣を歩く。最近、娘の空想に付き合い過ぎて、私も現実と空想の境界線がぐんにゃりとしてきたところもあり、もしかして、本当に止んだりして…と歩いたことが仇となり、家に着く頃には2人してずぶ濡れになっていた。

6月11日(木)

 少4の壁というものにぶち当りつつある。少1の壁に大騒ぎしていた頃、働く先輩ママが「少4の壁」なるものもあるので覚悟せよと言っていたが、これか! 学童が3年生で終わってしまった。しかも今はイレギュラーな分散登校、給食なし。あっちゅう間に家に帰ってくる。幸いにしてフリーランスゆえ、仕事をしつつ、なんとか対応できているが会社員のお母さんはどうやって切り抜けているのか。今日は、外での仕事が夕方6時からの打ち合わせ1本。夜の子供のいろいろは夫担当の曜日で、わりと余裕をかましていた。仕事をすべて在宅で乗り切り、昼ご飯を食べさせて、仕事をする横で勉強をさせる。娘が塾へ行くための用意をしてから一足先に出る。そんな段取りをしていたが、まさかの局地的豪雨。一人では行かせるのが不安になり、打ち合わせへ遅れての参加をお願いした。予定変更から、まあ、今思い出すと恥ずかしくなるくらいにドタバタして、結果、携帯とマスクを忘れて電車に飛び乗る。通行人からの「あの人、マスクしてない」という痛い視線。さらに電車の中に傘を忘れ、最終的に、まあまあずぶ濡れの状態で、30分遅刻して編集部に到着。受付がすでに閉まっていて入れず、直接、携帯に電話して入れてもらおうとしたら、携帯を忘れていたことに気づく。結果的に40分遅刻。ああ、凹む。娘がもっと小さかった時も、急な発熱やら怪我やらで仕事のスケジュールがうまく運ばず、でも子供のせいにはしたくないし、一緒にいてやりたいし、もうどうしていいか分からなくて悔し涙を流したこともある。そんな時、先輩編集者の中川さんが「いろいろジレンマがあって悔しい思いも苦しい思いもするけどさ、母親になるって決めたのは自分だもんね。」と言ってくれてすごく楽になったことを、ずーっと宝物のように心に留めてある。そうだな、全部、自分で決めたんだ。子育てだけじゃなくて、今起きていることのすべてが誰のせいでもなくて、自分でしたこと、決めたことなのだと思う。雨に濡れて歩きながら花屋を見つけた。帰り道に、花でも買って落ち着こうと考えていたことを、深夜になって思い出した。つまりは買えてない。目の端に映る花瓶の花は、そろそろ枯れそう。それでも打ち合わせは楽しかったし、家族も元気だ。枯れゆく花もまた美しい。

6月10日(水)

 もう水曜! 先週も同じことを思ったが、もう水曜! あわわ。一週間が恐ろしく早い。今日は久しぶりにスタジオ撮影。コロナ自粛中、書き仕事はあったものの、撮影はストップしていたから、ああ、日常が戻りつつあるのだなと思った。皆でああでもない、こうでもないと言いながら、新しいビジュアルを作り上げていく作業はとても楽しい。その後、代官山へ移動し、1本インタビューを終えて、帰宅。学校終わりの娘と近所のミスタードーナツへ。ずっと読めてなかった『文學界』5月号に掲載されている鼎談連載、朝吹真理子さん、綿矢りささん、村田沙耶香さんの「深夜二時から始まる話」を読む。朝吹さんとは月に1回、GINZAの連載「朝吹真理子のデザイナー訪問記」でご一緒しているのだが、この鼎談がめちゃくちゃ面白かった。何度もププッと吹き出したり、ニヤニヤしたり。私は小説ってこの世で1番クリエーティブなものだと思っているから、小説家のおしゃべりをこんなにも聴けるなんて嬉しい。その後、昨日発表された「2020年サンリオキャラクター大賞」を詳しくチェック。昨年は6年ぶりにハローキティが首位奪還し、看板キャラとしての面目を保ったのだが、今年はいかに。結果は、シナモロールが2017、2018年に続いて1位。おめでとうございます。2位はポムポムプリン、3位はポチャッコ。上位3名は皆、犬のキャラクターだ。私の推しキャラ、ケロケロケロッピは11位。KIRIMIちゃん.は17位。お疲れ様でした。引き続き、応援します。興味深かったのは、ヨーロッパではクロミやYOSHIKITTYというゴスっぽいキャラが人気だったこと、総合順位では16位だったアヒルのペックルがなぜか香港で1位だったこと。この辺はちょっと深堀りしたいところである。そこそこ忙しいはずなのに、一体なにをやってるんだ、私は!

6月9日(火)

 寝落ち。9日分の日記を10日に書いてしまっている。保育園に愛娘を送り込んだ後、この日記を漫画連載のように楽しんで読んでるとメッセージをくれたえりこちゃん、すまん。まさかの日経と並行読みしているらしいけど、大丈夫か(笑)。 今日もNHKの番組の黒人コミュニティー描写の酷さや、政治家の「民度」発言やら、顎が外れっぱなしになるかと思うくらいに唖然としたり、腹が立ったりしているが、とにもかくにも、ツイッターで広がるハッシュタグ通り、#伊藤詩織氏を支持します、に尽きる。顔を出し、実名を出し、過去のとんでもないトラウマと闘い、利権やメディア、ひいては法律や国家にも立ち向かう彼女を心から尊敬している。傍観するだけじゃなくて、一緒になって闘いたいと思う。こともあろうに、同性からもありえない誹謗中傷を受けている。なぜ?どうして? どういう心情や脳みその回路でそうなるのかは、どうしても想像が追いつかないが、とにかく「女の敵は女」などと言ってる暇はないのである。この言葉自体を撲滅したい。私がこの世から撲滅したいものはいくつかあって、まず一つ目はこの「女の敵は女」に代表されるような「VS構図」の撲滅。「私立女子校出身女子VS地方公立共学校女子」、「保育園ママVS幼稚園ママ」、「可愛い派VSかっこいい派」、「専業主婦VSワーキングママ」などなどなど。カテゴリー分けして戦わせるの、やめろ! そもそもカテゴリーに押し込めるのもやめろ! そうだ、2つ目は「女性に対するカテゴリー分け」。これも撲滅! 他にも「同調圧力」、「普通という概念」、「女性から仕事を取り上げようとする環境と男」など、並列して撲滅運動をし続けている。私は、20代から女性ファッション雑誌の編集部を中心に、仕事をしてきた。意見と信念を持ってのしのし歩き、仕事に没頭する、自立した女性の先輩たちをたくさん知っている。私も先輩たちに習い、当たり前のようにそうしてきたけれど、世の中を見渡せば、それがいかに恵まれた環境だったのかと痛感する。私も私なりのやり方で、強固なシスターフッドを築いていきたい。拳を握りしめながらそんなことを思った1日であった。

6月8日(月)

 う…、ただいま深夜の2時37分。眠りにつく娘と一緒に本を読んで寝落ちからの生還。0623の法則はどうした!  娘が5歳くらいまでは読み聞かせやら、つらつらと想像に任せて口をついて出る物語を作って聞かせたりしていたが、ここ最近は大人が読む本を一緒に読んでいる。娘が尊敬する宮沢賢治や『魔女の宅急便』全6巻、トーン・テレヘンの『ハリネズミの願い』など。去年の秋かな、筒井康隆の『バブリング創世記』が復刊したときにふと見せてみたら、「ドンドンはドンドコの父なり。ドンドンの…」と音読しながら「こういう風な天才がいるんだね」と目を見開いて楽しんでいたのを思い出した。当時、娘は8歳。8歳の子供にもそんな風に思わせる筒井康隆は娘の言う通り、まごうことなく天才なのだ。そんな我々の今宵の課題図書は、シーグリッド・ヌーネスの『友だち』。大の犬好きにして、グレードデンの「デン吉」というイマジナリーフレンズ(空想の友だち)を持つ娘と読み始めてみた。アポロという老犬が亡き飼い主を偲び、孤独を抱える描写で、娘はひたすらに「デン吉」を撫でて慰めていた。客観的に見ると、ベッドに入った眠そうな子供が、手を空中に伸ばして左右に小さく振っているという図。娘の大海原のような空想力よ、永遠なれ。

6月7日(日)

 昨日の久々のボディマッサージで、昼過ぎまで眠かったり、だるかったり。好転反応ってやつだ。どれだけ不摂生していたのか。とほほ。娘が生まれる前、雑誌の取材で1週間ほど、伊豆高原にあるやすらぎの里という断食施設で断食をしたことがある。その時の好転反応もすごかったな。ついてすぐカウンセリングがあり、顔つきを見ただけで「かおりさんは断食自体は2日間で大丈夫です。それよりも、情報を次から次へと頭に詰め込みすぎているので、ここにいる間は、なるべく情報収集をしないようにしてみてください。新聞や雑誌、本を控えましょう」と言われて驚いたことを思い出した。お、お見通しすぎる!っていうかどんな顔! そんなわけで、持ち込んでいたゲラ以外はなるべく読まないようにした。朝夕にヨガや瞑想があり、温泉もあり、好転反応による頭痛がしたときは部屋でゴロゴロ昼寝したりして、気がつけば1週間で体重もけっこう落ちたが、身体中の凝りが一気になくなったことがなにより気持ちよかった。身も心も最高にデトックスできた。ああ、デトックスって大好きな言葉だわ。また行きたいなぁ……。本棚に置いてある漫画が『美味しんぼ』だったな。絶対にそこで読みたくないやつだよ。そろそろまた、自宅で取り組めるジュースクレンズや酵素ジュース断食やらなくては。なぜなら、今、これを書きながらパンツのジッパーを半分下げているからだ。由々しき事態である。負けず嫌いのくせに、チョコレートの誘惑にはすぐ負ける。完敗続き。6月中に1週間やるとここに誓う。

6月6日(土)

 待ち望んだ週末。今日は絶対、仕事しないぞと誓ったそばから、11時から1本Zoomで打ち合わせがあったことを思い出す。でも、久々に仕事をするフォトグラファーの小川くんとも話せて嬉しかった。12時に家を出て、娘を皮膚科に連れていく。診察→薬の受け取り→お昼ご飯を終えて、娘のZoomバレエレッスンのために、14時にはパソコン前に戻らねばならぬ。土曜日なのでわりと混んでいて、薬局を出た時点で13時20分。今日はどうしてもラーメンが食べたいという娘の願望に従い、家から徒歩5分のラーメン屋さんに入る。う、こんな日に限って混んでるんだよなぁ。1杯のラーメンを2人で分け合い、ダッシュで帰宅。やんややんやと急かし、レオタードに着替えさせて、Zoomを立ち上げたところでレッスンが15時と気づくというオチ。もー、いい加減にしろ、私! 娘を産んで10年半。良妻賢母とやらに近づく気配はみえない。
 そして今日はモーレツに楽しみに待っていた「テルーチェ」でのボディマッサージの日だ。いつも担当してくれるゴッドハンド、まきこちゃんと久しぶりにいろんな話をしたかったのに「かおりさん、今日は体の調子どうですか?」と聞かれ、「『瞳はダイヤモンド』だけど、私の首肩もダイヤモンド状態だね。」というくだらない受け答えをするのみで、速攻で『夢の中へ』。予想通り、恐ろしく凝っていたらしいが、おかげですっきりほぐれてリセットできました。満月にぴったり。
 帰り道、考え事をしたくてぶらぶらと歩く。歩いているとアイデアが浮かんだり、悩んでいたことを掴めたりする。その昔、大学を卒業してすぐに就職した出版社は御茶ノ水にあって、絵コンテや企画が浮かばないとき、ささっと編集部を抜け出して、東京ドームシティアトラクションズ(旧後楽園遊園地)へ行った。1回だけジェットコースターに乗ったり、バッティングセンターで打ちっぱなしをしたりしながら、アイデアを深めようとしていたことを思い出す。三軒茶屋駅の世田谷線線路沿いあたりで、雨が降ってきた。隣を急ぎ足で通り抜ける、1組の大学生くらいの若いカップル。彼氏が「ちょっと急いで帰ろう。濡れないほうがいいよ。ゆかりちゃん、可愛いから。」と彼女の手を引っ張る。なんて微笑ましい……、あなたたちの恋、尊いよ、彼氏の言葉、最高にかっこいいよ、などと借景ならぬ”借ドキドキ”しつつ、かおりは一人、濡れながら歩き続けた。『傘がない』。 

6月5日(金)

 今日はTHE SHEにたくさんの注文を頂いたため、プロデューサーのサチと私のアシスタントのエリナちゃんとせっせと梱包作業。ひとつずつ、小さなお手紙を入れる作業が楽しい。仕事やら夕飯やらいろいろ終えて家族が寝静まった後に、日記を書くのが日課になってきた。日記といっても実際の出来事をつぶさに書き綴るというよりは、頭に巡った気持ちとか思いとか、それを元に思い出したこととかを書くので、半分は頭の中の日記。中学生くらいの頃かな、熱心に日記をつけていたことがあり、それをなぜか友達に読んでもらいたくて手渡していた記憶がある。典子、元気かな? 随分と付き合ってもらった気がする。時を経てありがとう&ほぼ迷惑行為、ごめんよ。小学校6年生のとき、両親と妹と4人で家族交換日記なるものもしていた。今も残っているが、ほんの2週間ほどで皆が筆を置いていたのは笑える思い出だ。
 最近、事務所にせっせと観葉植物を増やしている。葉が乾燥しないようにせっせと水を吹きかけ、土を触って湿り気がなくなっていれば水をやる。新芽を見つけては目を細める。植物が愛しすぎる。言いたくはないが、と、歳をとった証であろうか。あー、今日も朝から晩までよく働いた。バスソルットたっぷりのお風呂に浸かりながら、読みかけの「週刊文春」を読んで寝よう。

6月4日(木)

 朝6時に起きて、原稿を1本入れる。テープ起こしをするといつも自分の声が低くて、なんだか恥ずかしくなるんだよな。そして時に、取材対象者よりも私の方がしゃべってることがある。なんなの、それ。しかし、やっぱり人について書くのは格別に楽しい。
 お昼前から、今1番気になっていたバッグ&スカーフのブランド「LASTFRAME」のショールームを訪ねる。あまりのかわいさと、ものづくりの背景に触れてテンションがブチ上がり、興奮しすぎて喋り過ぎ、途中で早くも声がガラガラになってしまった。反省。本当におしゃべりなんだから……。絶妙な色合わせとかフォルムの面白さから、大好きなロンドンの街が頭をよぎる。デザイナーの奥出さんにそう言うと、「そうなんですよ、なぜかロンドンですごく評判がいいんですよねー」とのこと。「このバッグの後ろ側に今、OASIS(発音はオエイシス)が見えました!」と続けると、「いや、それは見えないっすね。」とのこと。ですね、失礼しました。それにしても、真摯にものづくりと対峙しているブランドや人と接すると嬉しくなる。ワクワクする。ドキドキする。ファッションは時に軽薄に見られたり、表面だけの上滑りなものに思われたりする。「ファッションピープル」がものすごくネガティブな言葉として使われるように。でも私はファッションという概念を、哲学を愛している。ファッションを作り上げる人たちの真摯な姿勢も、チャーミングな人柄も、超オタクなこだわりも愛している。そこに群がるだけの実態のない人たちは無視だけどね。誰になんと思われようと、好きなことは好きだと言って生きていきたいな。そのためには、ファッションととにかく真摯に向き合っていかなくちゃな。
 そして今日は、出版社勤務時代の同期、瑞穂から、2人の愛娘のお下がりが届く。うちの娘はそれをいつもとびきりに楽しみに待っていて、ニッコニコの笑顔で、1枚1枚手に取っては胸にあてていた。今まで履いたことがないちょっと大人っぽいショートブーツに特にワクワクしたようで、TVを観ている間もずっと履いていた。コラ! 瑞穂、いつもありがとう。

6月3日(水)

 もう水曜!早い! 今日は娘が、ほぼ3ヶ月ぶりに学校へ。久しぶりに友達に会えて、新しい先生とたくさん話して、大好きな図書室へ寄って帰ってきた。分散登校のため、昼からの登校。上履きがいつの間にやら小さくなっていて、登校のおよそ30分前に、近所の用具屋へ猛ダッシュで買いに行った。こんな母ですまん。汗だくで帰宅後、急いで名前を記す際、うっかり去年の学年とクラスを書いてしまう。「あああ、ちょっとぉ、3から4に直すの難しくない?」と娘が笑っている。「いや、大丈夫。ほら、見て、ちょっと星印みたいでよくない? エヘ。」とごまかす。こんな母ですまん。「ママ、しかも全部ひらがなじゃん。私、もう4年生だよ」(娘)。「おお、確かに。えーと。どうしよう…」(母)。「いいよ、いいよ。先生、読みやすいだろうしね。」(娘)。こんな母ですまん。送り出して、そのまま Zoom打ち合わせへ突入。夫がリビングから顔を出し、娘が忘れた筆箱を振っている。「!!!!」(追いかけて、渡して! のジェスチャー)。娘の学校も習い事も私の仕事もいろいろとイレギュラーな6月。学校の登校は忘れててすまん!ではすまんので、気を引き締めないと。というか、夫に託そう。 娘が戻るまでの間に、久々に原宿で打ち合わせと筋トレ。約2ヶ月ぶりの原宿は、大行列だったタピオカミルクティ屋が三軒も潰れていて驚いた。

6月2日(火)

 どうしよう、もう大学4年生なのに卒業の単位が足りない。それなのにどの講義の登録すら忘れてる、どうしよう! 卒論やってない、やばい! という夢を見て目が覚めた。もう43歳なのに。この夢、よく見るんだよな、一体、何歳まで見るつもりなのか。コロナ禍中、悪夢にうなされる人が増えているという記事を読んだ。振り返ってみれば、私もそうだった。特に4月上旬。気が張っていたけれど、初めての事態にかなり不安だったのだろうな。もう内容は思い出せなくてメモしとけばよかったと後悔するけれど、毎夜、ヘンテコで怖い夢をたくさん見た。
6月は日本はもちろん、世界中においてコロナによる健康被害とそれにまつわる精神的被害、経済的被害もまだまだ続く。そんな時だからなのか、そんなこと関係なく歴史はくり返されているだけなのか、ジョージ・フロイドさんの死をきっかけにした抗議活動が大きなうねりをあげている。こんなにSNSが盛んなのに、盛んだから? 遠く離れていると正しい情報が掴みにくい。地上波の報道もツイッターの書き込みもどちらも鵜呑みにできないところのあるご時世だ。抗議と暴動の違いは? 暴動は誰が主導しているのか? 怒りに身を任せた暴動や略奪行為はどこまでが本当なのか? できるだけ真実を掴み取って考えたい。#BLACKLIVESMATTER、I CAN’T BREATHE。黒人コミュニティの人々がアメリカで受けてきた差別を、日本で生まれ育った私が本当に心から理解できなくても、勉強して、想像して心を寄せることはできる。差別は人として最低の行為だと娘に教えることはできる。無関心と、関心だけあっての静観は両方とも罪深い。長引きそうなコロナのことなども重なって、処理しきれない不安や怒りが夢に出るのかもしれないな。心も体も脳も全部繋がってる。
 想像力は優しさだ。そう思って生きてきたけれど、全然、口ばっかりだった自分がいて、自分の不甲斐なさにとことん落ち込んだこともある。大切な人や気持ちをなくしてしまった後悔は、きっと、一生、抱えて生きていくのだと思う。心と頭の両方でしっかり考えて、自分とは違う大切な他人を傷つけずに生きたい。などと奥歯を噛み締めながら考える日々。顎の凝り方が尋常ではない。

6月1日(月)

 13時、THE SHEのグランドオープン!!! あー、なんとかオープンできたー。昨日というか今朝のぎりっぎりまで、KkCoとのコラボについての原稿をああでもない、こうでもないとうんうん言いながら書いてるうちに、そうか、こういうことがやりたかったんだと再認識して書き上げたところで、寝落ち。寝落ち中に、相棒のサチと電話をしたらしいが、ほぼ記憶なし。しっかりハキハキとしゃべっていたそうで怖い。低気圧、そして疲れからか結膜炎になっちゃって気分もどんよりだったけれど、オープンしましたのお知らせをすると同時に、本当にいろんな人たちからおめでとう、見たよ、インスタフォローしたよ、がんばってねと温かいメッセージを頂いて、泣いた。泣いたら結膜炎がかゆくなったけれど、嬉しくて何度も泣いた。人は一人では生きていけなくて、自分の周りにいる人たちに生かされているんだと実感した日だった。2020年6月1日、本当に幸せな日でした。幼少の頃から、母が「人の幸せを素直に喜び、人の不幸せを一緒に悲める人であれ」と言っていたことを思い出す。お母さん、ほんまにその通りやな。肝に銘じてるつもりやったけど、ほんまにほれって大切なことやな。私も私の周りにおってくれるみんなみたいに、ほういう人でありたいと思うわ(阿波弁)。