
6月2日(火)
どうしよう、もう大学4年生なのに卒業の単位が足りない。それなのにどの講義の登録すら忘れてる、どうしよう! 卒論やってない、やばい! という夢を見て目が覚めた。もう43歳なのに。この夢、よく見るんだよな、一体、何歳まで見るつもりなのか。コロナ禍中、悪夢にうなされる人が増えているという記事を読んだ。振り返ってみれば、私もそうだった。特に4月上旬。気が張っていたけれど、初めての事態にかなり不安だったのだろうな。もう内容は思い出せなくてメモしとけばよかったと後悔するけれど、毎夜、ヘンテコで怖い夢をたくさん見た。
6月は日本はもちろん、世界中においてコロナによる健康被害とそれにまつわる精神的被害、経済的被害もまだまだ続く。そんな時だからなのか、そんなこと関係なく歴史はくり返されているだけなのか、ジョージ・フロイドさんの死をきっかけにした抗議活動が大きなうねりをあげている。こんなにSNSが盛んなのに、盛んだから? 遠く離れていると正しい情報が掴みにくい。地上波の報道もツイッターの書き込みもどちらも鵜呑みにできないところのあるご時世だ。抗議と暴動の違いは? 暴動は誰が主導しているのか? 怒りに身を任せた暴動や略奪行為はどこまでが本当なのか? できるだけ真実を掴み取って考えたい。#BLACKLIVESMATTER、I CAN’T BREATHE。黒人コミュニティの人々がアメリカで受けてきた差別を、日本で生まれ育った私が本当に心から理解できなくても、勉強して、想像して心を寄せることはできる。差別は人として最低の行為だと娘に教えることはできる。無関心と、関心だけあっての静観は両方とも罪深い。長引きそうなコロナのことなども重なって、処理しきれない不安や怒りが夢に出るのかもしれないな。心も体も脳も全部繋がってる。
想像力は優しさだ。そう思って生きてきたけれど、全然、口ばっかりだった自分がいて、自分の不甲斐なさにとことん落ち込んだこともある。大切な人や気持ちをなくしてしまった後悔は、きっと、一生、抱えて生きていくのだと思う。心と頭の両方でしっかり考えて、自分とは違う大切な他人を傷つけずに生きたい。などと奥歯を噛み締めながら考える日々。顎の凝り方が尋常ではない。